ローマ教皇もメロメロ ヨーロッパでのコーヒー普及の歴史

ローマ教皇もメロメロ ヨーロッパでのコーヒー普及の歴史

「コーヒーはどこの国の飲み物?」

と聞くと、最近はスターバックスなどのイメージもあって、アメリカやヨーロッパをイメージされる方が多いかもしれません。

しかしもともとコーヒーはエチオピアで発見され、アラビア半島などのイスラム世界で普及していったのが始まりでした。

そんなコーヒーが世界的に伝播していくようになったのは、やはり当時の世界の中心であったヨーロッパ人たちのコーヒーへの関心の強まりです。

ヨーロッパ人がコーヒーを文化として取り入れただけでなく、商業的な意味でも興味を持ったため、コーヒーが世界に広がるきっかけとなりました。

その意味で、やはりヨーロッパが現代のコーヒー文化を作ってきたといっても過言ではないでしょう。

今回はヨーロッパ世界へのコーヒーの広がりの歴史を見ていきたいと思います。

キリスト教徒の反発「コーヒーは悪魔の飲み物」

コーヒーがヨーロッパに広がったのは17世紀になりますが、17世紀初頭にはまだ物珍しいもので一部の学者たちにしか知られていないものでした。

コーヒーが普及しだした当初、「イスラム教徒は聖なる飲み物のワインが飲めないため、その代わりに悪魔からコーヒーが与えられているのだ」という言説でコーヒーの飲用禁止を訴えるキリスト教徒たちがいました。

はじめ、ヨーロッパではコーヒーは「悪魔の飲み物」だったのです。

一方でコーヒーの魅力を主張するキリスト教徒もいたため、その是非を問うためコーヒーは裁判にかけられます。

コーヒー裁判

 

当時のローマ教皇「クレメンス8世」はコーヒーに対する教会としての見解を求められたのですが、その時に飲んだコーヒーの味と香りに魅了されてしまいます。

「コーヒーを異教徒のものだけにしておくのはおしい」ということで、クレメンス8世はコーヒーに洗礼を施して正式にキリスト教として公認した、という歴史が伝えられています。

なお、クレメンス8世はコーヒー禁止が訴えられている時から自分は密かにコーヒーを愛飲しており、それをキリスト教として正当化するためにコーヒーを認めたという説もあるようです。

イスラム教でも同じような事件がありましたが、コーヒーは論争を巻き起こす飲み物のようですね。

ヨーロッパ初のコーヒーハウスはイタリアで始まる

この出来事をきっかけにヨーロッパでの市民権を得たコーヒーは急速に拡大していくことになります。

ヨーロッパで初めてコーヒーハウスができたは今のイタリアのベネチアでした。

ベネチア

当時の地中海貿易で中心的な役割を果たしていたのがベネチア商人であり、イスラム圏との貿易からいち早くコーヒーに目を付けていた彼らは1645年にヨーロッパ初のコーヒーハウスを開業します

ワインやビールと違い、アルコールが入っていないため、健康的な飲み物として非常に好意的に受け入れられ、時には万能薬と言われるほど人気の飲み物になっていきました。

1650年 イギリスで始めてのコーヒーハウスがオープン

1650年 イギリスで始めてのコーヒーハウスがオープン

続いて1650年にイギリスのオックスフォードでイギリス初のコーヒーハウスが、1652年にはロンドンでコーヒーハウスが営業を開始しました。

当初はイギリス国民にとって得体のしれないものであり、その独特の香りから「悪魔のにおい」として近隣の住民から訴えられるという事件もありましたが、コーヒーハウスは瞬く間にイギリス人の心をとらえ、急速に拡大していきます。

1666年にはイギリス史に残る大事件、ロンドンの大火によってロンドン市内の家屋のおよそ85%が焼失し、多数のコーヒーハウスもその犠牲になりますが・・・

ロンドン大火

 

しかし、その後もコーヒーハウスは増え続け、17世紀末にはイギリスのコーヒーハウスの数はなんと3,000軒にまで及びます。

コーヒーハウスはただコーヒーを飲むところではなく、社交場や商取引といった人々の集いの場でもありました。

紅茶人気もコーヒーがきっかけ

ただ18世紀半ばになると少しずつその数は減少し、イギリスでは紅茶が取って代わっていきます。

紅茶

なおイギリスというとコーヒーより紅茶のイメージが強いですが、そのきっかけはコーヒーハウスで紅茶を提供したことだったようです。

意外ですが、イギリスの紅茶文化はコーヒーブームの後に起きたことだったんですね。

フランスは近代コーヒーの生みの親

当時のヨーロッパでコーヒーというと、コーヒー豆を煮だして飲む、今でいうトルココーヒーの飲み方で飲まれていました。

それを今のようなドリップ式コーヒーの飲み方を発明したのがフランスです

フランスでのコーヒーの広がりやドリップコーヒーの発明について見ていきたいと思います。

コーヒーは毒?カフェオレの誕生はデマがきっかけ

コーヒーは毒?カフェオレの誕生はデマがきっかけ

フランス人のコーヒーとの出会いはイギリスよりも遅く、1669年にオスマン皇帝メフメト4世からフランス国王ルイ14世に献上されたことがきっかけでした。

そこから上流階級の中でコーヒーが飲まれるようになり、徐々に庶民にも浸透していきます。

1671年にはマルセイユでフランス初のコーヒーハウスが開業。

1672年にはパリにもコーヒーハウスができました。

しかしながら、フランスと言えばやはりワイン。

コーヒーを目の敵に思ったワイン商たちはコーヒーの悪評を広めて反発したのですが、一度火がついたコーヒー人気は留まるところを知らず、あちこちにコーヒーハウスが登場していきました。

一方でその運動のためにコーヒーの健康上の悪影響を信じる人も多かったそうですが、「ミルクを入れるとコーヒーの毒性が緩和される」といううわさが広がって「カフォ・オ・レ」が飲まれるようになったと言われています。

ちなみに「カフォ・オ・レ(café au lait)」という名前自体がフランス語なんですね。

ドリップコーヒーの誕生

そして1763年にドン・マルティンという人物によって「ネル付きドリップ・ポット」が発明されました。

これはコーヒーの粉末を麻の袋に入れて煮だして抽出する方法で、今のドリップ式の原型となったと言われています。

当時のヨーロッパで一般的な豆を煮だして飲む方法では、豆の粉がコーヒーに浮いてしまうので、それが沈殿するのを待つ必要がありました。

の待つ時間をなくすために、初めから布で濾すやり方を発明したと言われています。

まさに「合理的」と言われるフランス人らしい発想ですね。

なお、カフォ・オ・レやドリップコーヒーなど現代につながるコーヒーの飲み方を開発したフランスですが、現在はエスプレッソがフランスで最も一般的な飲み方らしく、喫茶店で「café(コーヒーの意味)」と注文すると、エスプレッソが出てくるので注意が必要です。

私たちの思うコーヒーを頼むときは「café allonge(カフェ・アロンジェ)」注文しましょう。

ドイツ人はビールよりコーヒーが好き

ドイツと言えばビールやソーセージが有名ですが、実はコーヒーも人気の飲み物のひとつです。

コーヒーの一人当たりの消費量はビールの消費量を上回るほど、実はドイツ人はコーヒーが大好きなんですね。

そんなドイツでのコーヒーの広がりについて見ていきましょう。

コーヒー人気で国内経済が不安定に・・・

ドイツにコーヒーがやってきたのは1670年頃。イギリス商人によって伝えられたと言われています。

当初は貴族階級の間で飲まれていたのですが、1680年ごろにハンブルクで、1721年ごろにはベルリンでコーヒーハウスが開業したことから家庭にも普及していきます。

フードマーケット

コーヒーはまたたく間にドイツ人の心をとらえ、消費量は増えていったのですが、一方でコーヒー豆を輸入するために大量の通貨が流出してしまいます。

当時のヨーロッパでは各地で戦争が起こっている状況で国力の安定が必要だったのですが、コーヒーの人気の高まり伴い国内の経済が脅かされる結果となったため、時のプロイセン王フリードリヒ2世はコーヒーの輸入を禁止し、コーヒーの製造を国立の企業に独占させます。

完全に国としてコーヒーを管理するようにしたのです。

またかつては貴族のものだったコーヒーが一般家庭に普及することで階級制度が崩れてしまうことも恐れていたようです。

代用コーヒーの発明

コーヒーの輸入が止められた結果、本物のコーヒーには高い値がつくようになり、庶民がコーヒーを飲むときはお湯で薄めて飲んでいたようです。

さらにチコリや大麦を加工した「代用コーヒー」なるものを発明し、一般的にはそれを飲むようになりました。

しかしながら、輸入が禁止された一方でコーヒーの密輸が横行するようになり、コーヒーへの関心はかえって強まる結果となりました。

結局その流れは止めることができず、フリードリヒ2世の死後には輸入規制は撤廃されます。

ドイツ人は本物のコーヒーを飲めなくなったら、代用のコーヒーを作ってしまうほどコーヒー愛が強いんですね。

今でもカフェインレスであることや健康にも良いことから、タンポポコーヒー、チコリコーヒー、大豆コーヒーといった代用コーヒーを飲んでいる人もいるそうです。

ペーパードリップの発明

もうひとつ、ドイツが新たに発明したのはペーパードリップの方式です

フランスで「ネル付きドリップ・ポット」という布式のドリップ法が発明されましたが、1908年にそれを改良したペーパードリップという方法がドイツ人のメリタ・ベンツによって開発されました。

コーヒードリップ中

布を使ったドリップは手間がかかり不衛生であったため、使い捨て方式の紙によるドリップを考案し、その方式が今では一般的なドリップ法となっています。

「愛する夫においしいコーヒーを飲んでもらいたい」という思いでペーパーフィルターを開発したメリタ・ベンツは、その後会社を作って、ペーパーフィルターを商品化しました。

現在も「メリタ」というブランドでコーヒー製品の世界的なメーカーとなっています。

外部リンクメリタ

ヨーロッパ最古のカフェが存在するイタリア

イタリア(当時はベネチア共和国)はヨーロッパで一番初めにコーヒーハウスができた国であることは先ほどお伝えしました。

コーヒーハウスは単にコーヒーを飲む場所ではなく、様々な階級の人たちが集い、議論を交わしたり、芸術作品を見せ合ったり、商談をする社交場となりました。

一方で、賭博や買春といった不正も横行したため、たびたび政府によって規制されたこともありました。

しかしながら、市民がそれに反発する形でイタリアのカフェは存続し続けることになります。

なお、1720年に創業したベネチアのサン・マルコ広場にある「カフェ・フローリアン」というカフェがヨーロッパ最古のカフェと言われています。

カフェフローリアン

ナポレオンの大陸封鎖令がエスプレッソを生む

イタリアのコーヒーと言えば、やはりエスプレッソでしょう。

エスプレッソとはお湯に高い圧力をかけて抽出したコーヒーのことを言います。コーヒーをぎゅっと絞り出すようなイメージですね。

少量でとても濃い味がするので、通常は砂糖を入れて飲みます。

エスプレッソ

このコーヒーが発明された背景には当時の戦争にありました。

1806年、ナポレオンが敵国イギリスを封じ込めヨーロッパの経済を支配するために「大陸封鎖令」を出して、ヨーロッパの国々とイギリスとの貿易を禁止します。

フランス植民地との通商も制限がかかり、ヨーロッパはコーヒーや砂糖といった輸入品が不足するようになります。

イタリアでもコーヒー豆が不足したため、苦肉の策としてローマにある「カフェ・グレコ」のオーナーのサルヴィオーニは少ないコーヒー豆で濃いコーヒーを抽出する方法を考え出しました。

これが「デミタスカップ」という小さなカップで飲むエスプレッソの起源になったと言われています。

コーヒーの量は3分の2になったものの値段も下げられため、当時のお客さんからも人気のコーヒーとなりました。

現在もフランスやイタリアではコーヒーというと、「エスプレッソ」の方が一般的です。

まとめ

今回はヨーロッパでの広がりやそれぞれの逸話について見ていきましたが、いかがだったでしょうか?

最後にそれぞれの国で起きた出来事についてまとめておきます。

 

  • ヨーロッパ初のコーヒハウスはイタリアで誕生
  • イギリスの紅茶はコーヒーハウスでの提供が始まり
  • ドリップコーヒーの発明はフランス
  • ペーパードリップの発明はドイツ
  • ナポレオンの大陸封鎖令をきっかけにエスプレッソがイタリアで考案される
  • ヨーロッパ最古のカフェはイタリアにある「カフェ・フローリアン」

 

などなど、こうしてみるとイタリアはコーヒーに関してとても伝統のある国なんですね。

ヨーロッパの国々でのコーヒーの発展が今のコーヒーに直接つながっていることが分かりました。

ヨーロッパを旅するときは是非コーヒーの歴史を感じながらカフェに立ち寄ってみると面白いと思います。

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