コーヒーは神への冒涜?イスラム世界でのコーヒー普及の歴史

2022/01/19
コーヒーは神への冒涜?イスラム世界でのコーヒー普及の歴史

コーヒー発見の伝説は前回の記事(【コーヒー発見の2大伝説】カルディとオマールの物語)でお話しましたが、今回はコーヒーの発見からどのように世界に広がっていったのかを見ていきたいと思います。

また、その過程におけるコーヒーの飲み方の変化についても触れていきます。

コーヒーの飲み方の変化の歴史を知ることで、普段飲むコーヒーにも歴史の大きな流れを感じられるようになるでしょう。

それではまいりましょう。

コーヒーの発見は現在のエチオピア

前回のカルディの伝説に合ったようにコーヒーはもともとエチオピア(当時はアビシニア)で発見されたのが始まりです。

もともとあの物語自体が事実というわけではなく、歴史的な事実を伝えるためにカルディというキャラクターを使って創作された物語のようです。

まだコーヒー発見の2大伝説について読んでいない方は、この記事を読む前に先にこちらの記事を読むとより楽しめると思います。

当初、コーヒーは食べものだった!?

当初、コーヒーは食べものだった!?

エチオピアではコーヒーのことは「ボン」と呼ばれ、当初は今のように豆を濾したコーヒーではなく、コーヒーの実を煮て食べていたそうです。

今なおエチオピアの奥地ではコーヒーの実を食べる習慣が残っており、エチオピア南西部の奥地にいるオロモ族は子供が生まれた時などの記念日にはコーヒーと大麦をバターで炒めて食べる儀式が存在しています。

ちなみにコーヒーの実はチェリーのような赤い木の実で、ほんのり甘い味がするようです。

ただほとんど果肉がついておらず、実の大部分は豆となっているためフルーツとしては物足りないのかもしれません。

6~9世紀 アラビア半島に伝わり煮汁が飲まれるようになる

コーヒーが今のような飲み物としての原型を持ち始めたのは、エチオピアからアラビア半島(サウジアラビアなどがある半島)に伝わってからと言われています。

エチオピアでは「ボン」と呼ばれていたコーヒーが、アラビア半島では「バン」と呼ばれるようになり、豆から抽出した飲み物が飲まれるようになりました。

ちなみにその煮汁のことは「バンカム」と呼ばれています。

バンカムは乾燥させたコーヒー豆をすりつぶしてから熱湯に入れて煮だした飲み物なのですが、まだ今のように豆の焙煎はされていませんでした。

イスラム世界への伝播

エチオピアで発見されたコーヒーがアラビア半島に普及した後で、コーヒーは大きな進化を遂げます。

イスラム世界におけるコーヒーの飲み方の変化やカフェの誕生についての歴史を見ていきましょう。

当初コーヒーは修道士に伝わる秘薬だった

当初コーヒーは修道士に伝わる秘薬だった

コーヒー発見の二大伝説にもあったように、バンカムはイスラムの寺院で僧侶(スーフィー)たちが夜の祈祷の修行に耐えるための秘薬でした。

当時はまだ修道士たちの中でのみ伝わる薬であったため、一般の人たちの手に渡ることはありませんでした。

僧侶たちはこの“秘薬”を修行に必須のアイテムとして神格化し、「カフワ(欲望を減らす飲み物という意味。ワインのことも指す。)」と呼んでいました。

修行の前にはボウルに入れたカフワ(コーヒー)を仲間内で飲みあうようになります。

13世紀 コーヒー豆の焙煎の始まり

13世紀にはいるとコーヒー豆が炒られるようになり、今のような焙煎されたコーヒーが飲まれるようになりました。

コーヒー独特の風味豊かな香りは、当時の人たちも魅了していたようです。

なぜコーヒー豆が炒られるようになったのかという経緯は今でもまだ明らかになっていませんが、何らかの事故でコーヒー豆が燃えた際に漂ってきた香りが良かったからではないかと言われています。

またコーヒーの一般的な普及に伴ってコーヒーカップのような器の製造もこの時から始まりました。

イエメンの商人がイスラム世界にコーヒーを広める

イエメンの商人がイスラム世界にコーヒーを広める

コーヒーがお金になることを察したイエメンの商人は国外に大量のコーヒーを持ち出すようになります。そのためイスラム世界一帯にコーヒーの存在が広まっていきます。

また彼らは小規模のスタンドや店舗を構え、コーヒーを宣伝し販売するようになりました。

このような店は「カフヴェハーネ(コーヒーハウスの意味)」と呼ばれ、庶民や知識人が集まる社交の場となり、こうして今のカフェの原型が出来上がっていきました。

なお「カフヴェハーネ」は省略されて「カフヴェ(トルコ語でコーヒーの意味)」と呼ばれてもいたそうです。

16世紀 コーヒーの弾圧事件が発生

こうしてコーヒーは一般大衆にも拡大し、イスラム世界全域へと広がっていきました。

16世紀初頭にはサウジアラビアのメッカやメディナ、エジプトのカイロでは修道士たちがコーヒーを飲みながら礼拝をおこなうようになっていました。

しかし、このころ同時にコーヒーの宗教的な是非が問われるようになり、ある事件が発生します。

メッカの高官ハーイル・ベイ・ミマルはコーヒーには覚醒効果を問題視し、それに頼った礼拝や修行に対して「カフワ(コーヒー)は神に対する冒涜」として、メッカ内のコーヒー豆を燃やしたり、飲用したものをむち打ちにしました。

これをメッカ事件と言います。

一方その弾圧に反対する活動も沸き起こり、結果的にハーイル・ベイ・ミマルは職を解任されますが、この事件をきっかけにコーヒーはイスラム教との関連でその存在が大きな争点となります。

イスラム教の問題から焙煎の是非が問われる

イスラム教の問題から焙煎の是非が問われる

そもそもコーラン(イスラム教の法典)では炭の食用が禁じられているのですが、「コーヒーは炭にあたるのかどうか?」、「飲むだけならいいのではないか?」などが議論の対象となり、賛成派と反対派が激しく論争するようになりました。

また当時コーヒーを提供している「カフヴェハーネ(コーヒーハウス)」は人々の社交場となっていましたが、文学の朗読や詩の発表などの文芸活動のほか、政治的な議論を交わしたり賭博や買春の斡旋場となることもあり、政府は好ましく思っていませんでした。

そのため、当時たびたびコーヒー禁止令やコーヒーハウスの閉鎖が命じられることになります。

イスラム教におけるコーヒー論争の終結

この論争は17世紀まで続き、最終的にオスマン皇帝アフメト一世が「コーヒー豆は炭と言えるほど火にかけたものではない」という見解を出して、イスラム世界で公式に認められた飲み物となりました。

また、これをきっかけに「カーヴェハーネ」は正式に人々の社交場としての地位を確立します。

このようにコーヒーの存在が世間を大きく騒がす事件となったからこそ、その知名度と存在価値はより一層高まったのでした。

17世紀 カフェオレ、加糖コーヒーの誕生

16世紀のイスラム世界のコーヒーハウスでは、大鍋で温めたコーヒーを小さな容器に移して提供していたと考えられています。

当時は牛乳や砂糖を入れることはなく、カルダモンという香辛料によって風味付けがされていました。

17世紀にはいるとエジプトのカイロで砂糖を入れたコーヒーが見られるようになり、1660年ごろにオランダ大使ニイホフがコーヒーに牛乳を入れる飲み方を発見したと言われています。

カフェオレ

まとめ コーヒーはイスラム世界で発展した

コーヒーの発見からイスラム世界での普及と飲み方の変化についてまとめてみました。

今のコーヒーの飲み方と今のカフェの原型は、イスラム世界ですでにできていたと考えられます。

なんとなくヨーロッパのイメージが強いコーヒーですが、実はイエメンやエジプトなどのイスラム世界で発展してきたものだったんですね。

次回はヨーロッパへの広がりについて書いていこうと思います。

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